「過去の過ち」
反対に「昔は良かった」
相反する言葉。
どちらも、今が幸せとは言えない状態だ。
未来も幸せとは言えないニュアンスが含まれている。
私たちは、過去(原因)があって、今があり、その延長に未来があるという時間軸を持っている。
当たり前に思っているこの感覚は、実は「今、この瞬間の存在」を希薄にしてしまう。
幽霊のようにいつも過去が付きまとい、未来さえ過去の影響を受ける。
いつも、今には不満か不安。
そして、幻想の未来に夢を見る。
過去が良くなかったので、今も良くないから、未来を良くしようとする。
未来が今になっても、過去になった今は良くなかったので、やはり、今現在は良くない。
これは、不幸の環状線だ。
意識を今に焦点をあてる。
少なくとも、過去を「失敗」とか反対に「良きものとしてのノスタルジー」に浸るのではなく、
過去を成長の過程として捉えることはできないだろうか?
過去が今に影響を与えるという従来の考え方では、既に無くなった過去、つまり、固定化されたイメージを基盤にしている。
固定化されているということは変化を伴わないから、ある意味、完璧だ。
今は瞬間、瞬間変化する。過去に視点を置くと、いつも今は不完全になってしまう。
過去から未来への時間軸は、あるべき理想に対してジャッジを無意識にかけることとなり、あるべき理想自体、民族、主義、年代、性別などで大きく変化するもので、また、時間も重力で歪むことは周知の事実。
このパラドックスは、夢や理想の自分像にも作用して、いつも理想道理にいかない自分にフラストレーションを感じてしまう。
命あるものは変化するわけだから、固定化された完璧にはなれない。
今は命。
視点を今変換することは、今から過去へ影響を与えるということ。
成長は、それぞれの段階に完全を目指し、そこに到達した時点で、次の段階に変化していくこと。
不完全の完全。
生命エネルギーの変換。
過去を固定化されたものととらえるのではなく、成長の過程ととらえるほうが、今が生き生きしてくるはず。
いろんなことがこの世にはあるけど、
ネアンデルタール人から考えれば、科学だけでなく意識も進んでいる。
確実に人類は成長している。
113年ほど前、ライト兄弟が飛行機を作るまで、誰も人類が空を飛べるとは思わなかった。
でも、宇宙まで行けるようになった。
意識を変えるだけ。
今、あることに感動できる!